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怪傑アンパンマンの初代演者は誰?海野かつをさんに光を当てる昭和の記憶

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NHKの朝ドラ「あんぱん」で登場する“ミュージカル版アンパンマン”が話題を集めています。舞台で歌い踊るアンパンマンの姿に、驚きや新鮮さを感じた方も多いのではないでしょうか。

けれども、「アンパンマンって、こんなキャラクターだったかな?」と、どこか違和感を覚えた方もいるかもしれません。

実は、テレビでアンパンマンが初めて登場したのは今から約50年前。現在とはまったく異なる雰囲気を持つ“初代アンパンマン”が存在していたのです。

そのアンパンマンを演じたのが、芸人・俳優・声優として活躍していた海野かつをさんです。この記事では、海野さんのプロフィールや当時の演技、そしてその後の活動について振り返りながら、昭和のテレビ文化に刻まれた“知られざるアンパンマンの物語”を紐解いていきます。

現代の怪傑アンパンマンと“初代”への違和感

2025年放送のNHK朝ドラ「あんぱん」では、浜野ヒラメ(浜野謙太)さんが演じる“ミュージカル版アンパンマン”が注目を集めています。

  • 舞台で歌い踊るアンパンマンは、明るくエンタメ性の高いキャラクター。
  • 現代の子どもたちにも親しみやすいヒーロー像として描かれています。

しかし、昭和の時代に登場したアンパンマンは、まったく異なる雰囲気を持っていました。静かで、どこか哀愁を帯びた“初代アンパンマン”の存在を覚えている方もいるのではないでしょうか。

怪傑アンパンマンの初代演者は誰だったのか?

引用元 アンパンマン伝説 P14より

アンパンマンが初めて舞台に登場したのは、1976年の『ミュージカル・メルヘン 怪傑アンパンマン』です。 この作品でアンパンマンを演じたのが、海野かつをさんでした。

  • 原作は、やなせたかし氏の絵本『あんぱんまん』(1969年刊)。
  • 自己犠牲をテーマにした、静かなヒーロー像が描かれていました。
  • 海野さんの演じるアンパンマンは、痩せた体に優しい表情。
  • 空腹の人に自分の顔をちぎって分け与えるという献身的な姿が印象的でした。

その演技は、昭和の空気と人情を感じさせるもので、観客の心に深く残るものだったといわれています。

海野かつをさんとは?昭和を彩った演者のプロフィール

海野かつを(本名:海野教麿〈うんの きょうまろ〉)さんは、1932年4月29日生まれ、東京都出身の芸人・俳優・声優です。

主な経歴

  • 1944年:映画『五重塔』で子役としてデビュー。
  • 戦後:浅草フランス座を拠点にコメディアンとして活動。
  • 1959年:「スリーポケッツ」に渥美清さんと交代で加入。
  • テレビ出演:『快獣ブースカ』『おはよう!こどもショー』など。
  • 声優活動:『突貫カメ君』『ドボチョン一家の幽霊旅行』など。

浅草芸人としての確かな足跡を残し、子ども向け番組でも親しまれた存在でした。

初代アンパンマン演者のその後:海野かつをさんの転身と現在

芸能界引退のきっかけ

  • 1974年頃:病気療養中に出演した家電量販店「新栄電機産業」のCMが話題に。
  • 社長の説得を受けて芸能界を離れ、竹の塚店の店長として勤務。
  • CMは約20年間放映され、地域の顔として親しまれました。

現在の活動

  • 2003年:店舗閉店以降、公の場に姿を見せていません。
  • 2012年:NHK特集に向けて情報提供が呼びかけられましたが、2025年現在も消息は不明のままです。

昭和テレビ文化に刻まれた怪傑アンパンマンの記憶

1970年代の子ども向け番組は、教育的でありながらも人間味のあるキャラクターが多く登場していました。海野さんが演じたアンパンマンもその一人で、現代のアニメ版とは異なる“静かなヒーロー”として描かれていました。

  • 海野さんのアンパンマンは、静かで献身的な“自己犠牲のヒーロー”。
  • 現代のアニメ版とは異なる、哲学的な深みを持つキャラクターでした。
  • やなせたかし氏の原作に忠実な演技が、昭和の空気と重なり、観る者の心に語りかけました。

おわりに:あなたの記憶に残る初代アンパンマンは誰ですか?

海野かつをさんが演じたアンパンマンは、今では知る人ぞ知る存在となっています。 しかし、昭和のテレビ文化を愛する人々の記憶には、確かにその姿が残っているのではないでしょうか。

現在の活動は分かっていませんが、海野さんの演技にもう一度光を当てることで、懐かしさとともに昭和のヒーロー像を振り返るきっかけになるかもしれません。

あなたの記憶に残る“初代アンパンマン”は、どんな姿でしたか?

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